わたくし、クラシック音楽なぞを少々たしなみますことよ
おーっほっほ。(なぜ高飛車?)
なんて、ふざけた書き出しはともかく、わりとクラシックが好きなのです。
“クラシック音楽”と言うだけで、なんとなく敬遠されがちで、
「堅苦しい」「学校の音楽の授業みたい」
と言われちゃうのですが、問題はこの「授業みたい」ってところでしょうね。
クラシック音楽の“良さ”を、ちゃんと伝えられる教師がいないところが一番問題なのかと。
実際、自分が学校で習った音楽の先生を振り返ってみても、ドイツモコイツも、キーキーうるさい“神経質で自己陶酔型”のバカ教師ばかり。
純粋に“音楽の楽しさ”を教えてもらった記憶がありません。
余談ですが、結婚する前、ずーっと以前に付き合っていた女性に、
『子供のころから吹奏楽を習いに行かされていて、一生懸命練習しても上手く演奏できないことがあって、指導員に何度も叩かれたから、今では楽器を見るのもイヤ』
なーんて言っている女がいました。
アホかっつーの。
音楽ってのはそもそも、読んで字の如く、“音を楽しむ”ということ。
習うことがストレスになり、心から楽しめないものは、その時点で音楽ではないのです。
仮にそんな思いをして上手く演奏できたとしても、その演奏が人の心に届くわけがない。
そんなものは、ただの“雑音”です。
メロディーを聴いて、「あぁ、いい曲だなぁ」と感じたり、
楽器から綺麗なメロディーを出すことを素直に喜べたりするのが、
本当の音楽かと。
えーっと…
また、長々とわけのわからん内容になってきてるな。
なんだっけ?
そうそう、クラシック音楽の“良さ”でしたね。
とにかくね、クラシック音楽は、数百年間もの間、“素晴らしい音楽”として、世界中の人に評価され続けているわけです。
数百年もですよ?
これが、堅苦しかったり、面白くないわけがないではないですか。
バロック調がどうとかさ、ハ長調がどうとかさ、そんなことは、どーだっていいのです。
単に、メロディーを聴いて「綺麗な曲だなぁ」と感動すればよいし、その上で、「この曲はどういう時代に作られた曲なんだろう?」と思えば、作曲された背景を調べてみればいい。
また、「これを自分で演奏できれば素敵だろうな」と思えば、楽器を手にすればいい。
これが、“順序”なのだと思います。
音を楽しむ前に、『この曲が作曲者が生まれた国では、その時代に・・・』なんて、無理やり知識から入ろうとするから、“音を楽しむためにある”音楽が、“勉強”になってしまうのです。
さて、私が好きな曲はいろいろあるんだけど、その中でも、特に好きなのが以下の2曲。
(クリックするといきなり音楽が鳴るので、注意)
組曲『動物の謝肉祭』の「白鳥」(C.サン.サーンス)
http://www.geocities.jp/mani359/mei0508saintsaens.html
「G線上のアリア」(J.S.バッハ)
http://www.geocities.jp/mani359/meibach3aria.html
私は、仕事やら何やらで精神的にストレスがたまってくると、この2曲を聴いて、心を落ち着けています。
音楽ってのは、本来、そういうものだと思うのです。
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